自分だって学生時代に考えたことがある。よくある疑問だと思います。
当時は「選択肢を増やすためだ」って母親に答えてもらってなんとなく納得した記憶があります。
正直なところ完全に腑に落ちたわけでは無く、
選択肢が広がるという利点は共感できるので納得したことにして、小さな悶々とした気持ちは飲み込んで勉強に戻りました。
自分でも勉強から逃げたい怠け心が動機だと気がついていたし、そろそろ言い訳さがしに踏ん切りをつける足掛かりが欲しいだけだったので、否定出来ない答えを貰えてそれで十分だったのです。
ただ、本心とはずれがあって
勉強してよかったなぁと心底感動している人がいればその人の心境を少しでも体験してみたい。ふとしたらゾンビのように蘇る面倒くさいという気持ちと決別したい。
克己に頼らず勉強を享受したいというのが真意でした。
つまり知りたいのは「勉強の良さ」であって、勉強をすべき理由ではなかったのでしょう。
当時はうまく言葉にできず、汲み取って導いてくれる指導者もいなかったので哲学に迷い込むことを恐れて無視しました。
このズレが悶々とした気持ちの正体でした。
前置きが長くなってしまいましたが、
なぜ勉強をするのか
課題を解決する力を身につけるためです。
脳は負荷や変化を拒みます
すぐに効果が現れないものほど嫌がります。
慣れ親しんだ、前から知っているものの中で時間を過ごしたくなるのです。
でも、そんな甘えたことをするとどうなるでしょう。
子供のまま体だけ大きくなってしまいます。
これは何?わからない。
どうやったらいい?しらない。
アホになるんです。
じゃあ中身のある大人ってのは?
頼もしい、憧れる、一緒にいたい、学びたいって思われる人というのは?
不慣れなことでも取り組んでやりたい事を実現する人ではないでしょうか。
そこにユーモアがあると素敵ですよね。苦労を真正面から受け止める必要はなくて、工夫して楽しみながら乗り越えられる人は貫禄を感じます。
勉強ってのは、子供には無い能力を養うこと。
そして学問は平等で、腐らない価値があり、人に分け合うことができるのです。これだけ公平で勉強するにふさわしい課題はないのです。
運動なんて不平等で、事故で失われる能力です。
どんなマインドセットが合うのかは、性格によりけりですか経験してみないことには分かりません。
訓練が必要なのです。
急に出来ることではありません。
ダメだと思っていても経験値が増えると急に良く思えてきたり、
一朝一夕ではいかないのです。
そうやって、心を磨くのです。
こどもから大人になるんです、、
太宰治
『学問なんて、覚えると同時に忘れてしまってもいいものなんだ。けれども、全部忘れてしまっても、その勉強の訓練の底に一つかみの砂金が残っているものだ。これだ。これが貴いのだ。勉強しなければいかん。』
漢字の通り、勉めて強いるべきもの。
心を磨いた先には自信と心地良さがまっています。志望校、資格に合格した姿をイメージしてください。合格して嬉しいだけだとイメージは湧きにくいかもしれませんが、試験分野を学びきって、受験して、手応え十分で、正々堂々合格の証書をうけとった時の気持ちは想像つくのではないでしょうか。
ステータスとしての有り難さは周りから相対的なものなので褒められたりしないと実感できないものなんですか、勉強はちがいます。
昔の自分よりも成長できた実感は自信をもたらして、次は何をしようかと、可能先への期待につながります。
こころを磨くという意味で、勉強よりも真っ当なものはありません。
何よりも平等で、無意味になることがなく、流行に流されないもの。
将来学問に携わらなくとも、頑張りきるという体験はあなたの期待値を高めてくれます。
いつかどこかで、勉強も頑張ったんだね、と言われようものなら
「心を磨くつもりで取り組んだ」といえばしっかり伝わるものです。
人生が楽しくなるからやるべきものなんです。
残念ながら簡単には手に入りませんが、
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